「母と暮らせば」レビュー

素晴らしい映画を観た。

いや、単純に「素晴らしい」と形容するのは無粋であると感じる程の映画だけど、

本当に素晴らしい映画だった。

それが、現在絶賛公開中で吉永小百合さん・二宮和也さん主演の「母と暮らせば」

である。以下ネタバレを含むので、観に行こうと思っている方はここで

お辞めください。

 

 

 

 

 

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「母と暮らせば」は長崎の原爆で息子を無くした母と、原爆で亡くなった息子の亡霊との不思議な再会の物語である。

 

 

 

 

 

あらすじは、以下の通りである。

 

1945年8月9日、長崎で助産婦をしている福原伸子(吉永小百合)は、たった一人の家族だった次男の浩二(二宮和也)を原爆で亡くす。それから三年後、伸子の前に浩二の亡霊がひょっこりと現れる。母さんの諦めが悪いから、なかなか出て来れなかったと笑いながら。その日から浩二はたびたび伸子を訪ねるがいつも気になるのは恋人の町子(黒木華)のことだ。新しい幸せを見つけてほしいーそう願いながらも寂しい気持ちは母も息子も同じだった。楽しかった家族の思い出は尽きることがなく、ふたりが取り戻した幸せな時間は永遠に続くように見えたのだがー。(「母と暮らせば」公式パンフレット 解説 より)

 

 

物語は基本的に吉永小百合さんと二宮和也さん、吉永小百合さんと黒木華さんの

二人芝居で進んでいく。出演者の方々は皆、演技力が高く、胸を打たれるシーンが

いくつもあった。以下、印象に残ったシーンや事柄を列挙しようと思う。

 

 

 

 

・冒頭の白黒映像

「母と暮らせば」は白黒映像から始まった。

冒頭、息子の浩二が生きているシーンは白黒映像であった。

映画を観た時は「曖昧な記憶」「過去の記録」として白黒にしてあるのだろうと考えたのだが、「母と暮らせば」の特番(山田洋次監督×美輪明宏さん×二宮和也さん)において美輪さんが「戦争時代は‘色‘がなかった」とおっしゃられているのを聞いて、その印象を投影させてあるのかなとも考えた。美輪さんのおっしゃった「色が無かった」というのは、戦時中は華美な色のものは禁忌であったということである。色が人間に与える印象は意外に大きい。冒頭を色の無い世界にしたことに大きな意味があると思った。

 

 

・原爆のシーン

私はここで少し、感情が揺さぶられて、悲しい気分に支配された。

白黒シーンが一気にセピア色に支配されていくのだ。直接的な表現じゃないからこそ、

ぐっとくるものがあった。

白黒シーンも医大生だった浩二が友人と共に勉学に励んでおり、万年筆のインキを

付けたシーンだった。インキがセピア色に染まってく部分は一瞬で被害の大きさを感じさせ、恐ろしさを感じさせるものだった。

 

 

・浩二の登場

浩二が登場したのは、浩二の死後三年たった日、伸子が浩二の死を受け入れた時である。浩二の登場場所は「階段」である。階段はある種の境界線である。その後に続く

物語を予測させるものとして、階段からの登場があったのかなと思った。

浩二の他の登場位置についてはまた観る機会があったら、考察したい。

 

 

・亡霊としての浩二

浩二はとても自然な形で登場する。あまりにも自然に登場する。

あまりにも自然なので、誰にでも見える幽霊として存在するかのように見える。

しかし、母にしか見えず、しかも母も見えるのは限定的である。

幽霊に見えないのに、時折入る幽霊である証拠映像に、とても切なくなるのであった。

すごく描写が巧みだった。

 

 

 

 

 

・町子に対する浩二の思い

伸子のことはずっと見守ってきた浩二だが、恋人である町子のことは「見ないようにしている」と述べている。決して「見れない」わけではない。意図的に見ないようにしているのだということである。老いていく母親、絶対的存在である母親については、安心して見る事ができる。しかし、これからを生きていくはずだった町子の成長は見ていて辛いものがあるだろう。町子の存在が絶対的ではないことをどこかで自覚していたからだろう。愛の形の違いに改めて気づかされる。

 物語が展開していく中で、母親は浩二に町子のことを諦めろという。諦められなかった浩二は母親との関わりの中で、町子のこれからを応援しようと決心する。そして、浩二は「町子が幸せになってほしいっていうのは、実は僕といっしょに原爆で死んだ何万人もの人たちのねがいなんだ」と云う。このセリフは単に町子を願う浩二のセリフとして存在するだけでなく、セリフを通して監督が伝えたかったことなのではと思う。

大切な人を失った遺族に幸せになってほしい、今を生きてほしい、そんなメッセージを

反映したものなのかなと思った。

 

 

・人間の持つ嫉妬の描写の巧さ

浩二の恋人であった町子は、浩二の死後、献身的に伸子を支えていた。

伸子は町子に感謝し、娘のように思っていたが、一方で浩二に執着せず幸せになってほしいと感じていた。浩二のことは諦めていい人がいたら幸せになってほしいというが、町子には自分が幸せになってはいけないと感じる理由があった。理由を聞いた際に

伸子は町子が悪いのではないと擁護するが、町子が幸せになる(結婚する)と知って、

(本人に直接は言わなかったが)「なぜあの子だけが幸せになるの。死んだのがあの子だったらよかったのに」という、ひどく聞こえる言葉を発する。

浩二はそれをなだめるが、あんなに大切に思っていた人にさえ、嫉妬を抱いてしまう。

人間の愚かさというか、人間らしさというのが、セリフによってすごく伝わってきた。

 

 

 

・幸福なのか、不幸なのか分からないラスト

物語は、伸子の死で終焉する。伸子の死は決して否定的な形で描かれてはいない。

しかしながら、死で終わるという結末は賛否が分かれる部分だろうと思う。

この辺は、誰かと議論したい。

 

 

 

・出演者の方々の長崎弁

長崎弁について詳しくないので、何とも言えないですが、とても自然に入ってきた。

二宮さんはずっと方言のテープを聞いていたらしく、自然な演技だった。流石、二宮和也

 

 

 

 

 

総括して…

何度も観るのは胸が痛いけれど、もう一度見てみたい映画だった。

戦争映画で「二宮和也」という俳優を起用した理由として、演技の巧さは勿論のこと、そういうものについて多くの人(特に若者)に考える契機になってほしいからだと感じた。テーマに敬遠している人も、

まずは「二宮和也の演技が見たい」という理由で映画館に赴いてみるのもいいと思う。考える機会になるだろうと思う。

平和に思いを馳せながら、この記事を終えようと思う。